嘘が輝くとき

掃き溜め

舞台文豪とアルケミスト綴リ人ノ輪唱 感想

残した作品が、込めた想いが。それを見て、聞いて、読んで、人の心に残る限り永遠になる。覚えていてくれる人がいる限り、存在した証明になる。未来を繋いでいく。そうやって道は続いて行くのだなあと思いました。

正しく「たとひ魂は砕けても、想いは砕けない」だし「綴り人の輪唱」でした。

個人的にとても印象的だった朗読のシーン。文劇には余計者の挽歌から、何かしら「読む」シーンがありますよね。
今作は特にそのシーンの意味について考えました。

太宰くんと白さんのシーンは、配信だと気付かなかったけど、客電が上がって舞台も同じ明かりになるんですよね。
これは、今舞台にいる彼らは我らでもある。この作品の登場人物である、という意味もあるのかもしれないなと思いました。
私は客電が点いたことで、舞台上に上げられたような感じがしました。
きっと沢山の人々の想いが、太宰くんに力を与えたのでしょう。だから最後の力を振り絞れたのではないかなあ。

最後の朗読は没した順なんですよね。
芥川が目覚めた時、「文豪とアルケミスト綴リ人ノ輪唱」の「本」を、気が付いたように手に取って読み始める。きっといつかの未来の読者なのかもしれない。
文豪たちの幕は降りたけれど、綴った物語があったから、そうして出会った読者がいたから、太宰くん(や他の文豪)の道が拓けたのかもしれません。
ここからまた文豪たちの聖なる旅が始まるんだな…となりました。

今回は太宰くん=我らでもあったのかなあと思っています。

そして文劇はいつでも「生きろ!」と言う…。願いのような祈りのような「生きろ」でしたね。

とても希望に溢れた最高のラストだったと思います!

そして「舞台文豪とアルケミスト」という一冊の本を、作品を覚えていてくれたなら、きっとまた会えるよってことなのかも。

そうやって想いを繋いでくれる人がいる限り、彼らは何度でも生まれ直せるし、永遠に始め続けられるんでしょうね。



さて、私にとっては約半年振りの舞台でした。
1月ぶりのステラボール、劇場の空気に感動しました。やっとこれたなあという気持ちでした。
始まる前のわくわく感と緊張、サスに浮かび上がる太宰くんを見た瞬間、涙が滲みました。
生で観れるのはやっぱり最高ですね!

私は今回元々こういう路線だったのだろうなあと思っています。たまたまこういう事態になって、今だからこそ刺さる作品になったのだと。
プロパガンダになり得るとか制作側のエゴとか何とかは特に感じませんでした。そういう感想が散見されたので…。

館長は確かにその時代の概念の具現化的なモノなのかもとは思ってますが、そこに一人の人としている以上「個」だと思うし、「集」の中の「個」でもあるし、「個」と「個」のぶつかり合いだったと感じてます。
誰かにとっての正義は誰かにとっての悪である。正しさと正しさのぶつかり合いでしたね。
文豪たちが再び転生したように、館長もまた生まれるんだろうな。

今回は乱歩さんと中也さんへの愛しさが募りまくりでした。大千秋楽のカテコしんでしまった…。めっちゃ好きになった二人でした。

なんか文アニも見てたので、次々絶筆していくのをまた見なきゃいけないの?!と思ったりしたのですが、半分生き残ったので良かった…これで終わるのか…まあ希望はあるな…。と思ったら白さんがやられて、人の心がない!!!となりましたね。
本当にあの展開は辛かった…(それでも何回も見た私は何…)

あとさとちゃん!私の知ってるさとちゃんデビュー2年目とかそれくらいまでだったので、成長したな〜としみじみしました(笑)
さくちゃんの最期を看取りながら静かに怒りと悲しみを積み上げていくさとちゃんに震えました。


今回は深く考えさせられる作品になりましたね。本当にいっぱい考えました。円盤が出たらまたじっくり見たいです。印象が変わりそうだ。


文劇新章ずっと待ってるからな〜〜〜!!!




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